中年サラリーマンのお悩み解決! おすすめ書籍から学ぶ人生の宝物

悩める中間管理職にピッタリ! 書籍から学ぶ先人達からのプレゼント Kobo(楽天)やKindle(Amazon)などを通じて学んだ事を書籍レビューとして紹介

【人生の意味(人生の意味の心理学)】(原著:アルフレッド・アドラー) 読了レビュー

スポンサーリンク

 

 人生の意味?

そんなのモノ本当に判るのか?あとから付いてくるようなモノじゃ無いのか?と、感じながらも「あの有名な」アドラーの著書を読んでみた。

 読もうかどうか、、、

 正直に言うと、読む前はテーマが重すぎる…と、思った。

決して安くはない出費なので、手を出すかどうかも正直迷った。

読んで正解?

結論から言えば読んで正解。

今回も、もっと早くこの本に出会うことが出来ていたら、と感じた。

皆さんも是非、一度は読むことをお勧めする。

以下にレビューを書いておく。

f:id:yukihori-oyaji:20170609231012j:image

「人生の意味」レビュー

冒頭の一文

「私たちが現実を経験するのは、常に、私たちが現実に付与する意味を通してであり、私たちは、現実そのものではなく、すでに何か解釈されたものとして、それを経験する」

まず、最初は全く頭に入ってこない。2回読んでみても、まだ「??」のまま、3回目で「!!!」に変わった。

道端の石ころ一つとっても、「存在している現実そのもの」ではない。それを見た我々自身が「意味無くそこに転がる石ころ」という「意味」を自分で付与し、それを通して解釈し、経験しているのだ。

これはガツンと来た、冒頭からいきなり強烈な一撃だった。「意味の無いものなどない」と、認めざるを得ない。

絶対的な人生の意味?

冒頭の一文が示すとおり、「我々」が複数であり、それぞれが「意味」を付与しながら様々な経験をする限り「唯一絶対的」な意味などは無い。

アドラー曰わく、

「人生の意味に関する考えは、人間の数ほど多様であり、それらすべては、すでに推察したように、多かれ少なかれ誤っています。絶対的な人生の意味を持っている者はだれもいません。他方で、そもそも役に立ちうるどんな意味であれ、それが絶対に間違っているなどとは呼ばれえないといえる」

 今度は素直にうなづける。もはや「当たり前」と、思えるほどすんなりと頭に入ってくる。

f:id:yukihori-oyaji:20170609231119j:image

共通の尺度

絶対的に正しい、もしくは間違っている、と言うモノが無いと言うのなら、この先どう進むのか?と言う疑問に対してアドラーは、こう示す。

「私たちは、共有しうるよりよい意味とは何であるか、そして悪い意味というものに欠けているのは何であるかを見出すことができます。私たちは、このようにして科学的な「人生の意味」、本当の意味の共通の尺度、そして人間に関わるかぎりの現実に私たちが直面できるようにする意味を獲得する」

 共通の尺度を科学的に見出す事で、人生の意味を考える道具にしようと言う。

そのためには、

「本当の」ということが「人類にとって本当の」ということ、人類の目標・目的にとって本当の、という意味であることを心に刻んでおかなければならない

とも言っている。

三つの大きな絆(ties)

第1の絆

ひとつ目に挙げられているのは「この地球という惑星の上に生きているという事実」。つまり、地球上で生きてゆく以上は、そこで与えられる環境制約の中でやっていくしかない、と言う事であり、誰も避けては通れない。従って人間は、肉体的にも精神的にも、個々人の生活を継続し、人類の未来を確かなものにし得るようなやり方で発展して行くしかない。

アドラー曰わく、

「私たちは常に、より良い答えを求めて努力しなければならないし、あらゆる答えは、私たちが、地球というこの小さな惑星の表面に、そのあらゆる利点や欠点ともども縛られているのだという事実に、端的に適応しうるものでなければならない」

ということになる。

第2の絆

 ふたつ目に挙げられているのは「他の人々との交わり」。個々の人間の限界は低く、自分の目標を独りで達成する事は出来ない。ここでアドラーは、

「他の仲間の人間たちと協力しつつ、私たちが住むこの惑星上での私たち個々人の生命と人類の生命とを継続する、ということ」

を最重要としている。

第3の絆

 みっつ目に挙げられているのは「男女という二つの性を生きている」という事。人間として地球上に存続するために避けては通れないこの問題について、アドラーは言う。

「愛と結婚の問題は、この第三のきずなに属している。いかなる男も女も、この問題に答えを出すことから逃げ出すことはできない」

 その通りだと感じる。

f:id:yukihori-oyaji:20170609231646j:image

三つの主要問題(仕事、仲間、性)

これらの問題を避けて通ることは、人生の意味を見いだせない事につながる、とアドラーは言う。仕事励まず、殆ど友人も持たず、性生活にも満足していない人間を想定する場合、アドラー

 「彼が、「生きる」ということは困難で危険に満ちたものであり、よい機会にはほとんど恵まれず、危険だけが多いものだと感じているのだと結論しうる」

と示し、「彼らは失敗者」だとも言う。

 

反対に、仕事に良く励み、多くの友人を持ち、性生活にも満足している人間を想定する場合、アドラー

「こうした人の場合には、人生というものは創造的な課題であり、多くの有益な機会を提供するものであり、回復不可能のような敗北をもたらすものではないと感じられていると結論づけうる」

と言っている。後者はまだしも、前者への「結論」に素直に肯けるかどうかは正直、賛否両論だと感じる。しかしその疑問に対し、アドラーはこのように示す

 彼らが人生に与える意味は、私的な意味。つまり、彼らが自らの目標を達成したときに、彼ら以外の誰も利益を受けないし、彼らの関心はただ彼ら自身にしか及ばない。彼らが成功しようと努力するその目標は、虚構の個人的優越にすぎず、彼らの勝利は彼ら自身にとってだけ何か意味あるものにすぎない

 この考え方は解りやすい。個人的・私的には成功であっても、地球上に生きる人類としての意味は確かに薄い。

自己満足の目的達成を人生の成功とするのも良いかも知れないが、どうせならもう少し高い次元での「意味」を持たせた目的とする事が出来れば、尚良い。

 アドラーは以下のように例える、

私たちの先祖から引き継いできた遺産を振り返ってみるとき、私たちは何をみるでしょうか。それらのうちで今日まで生き続けているものは全て、人間の生活のために彼らが成し遂げてきた貢献のみです。私たちは耕された大地、鉄道や建築物を見ます。私たちは、伝承、哲学的体系、自然科学、芸術、そして人間としての私たちの状況と取り組む諸技術のなかに、彼らの人生経験の伝えられ遺された諸成果をみます。これらすべての成果は、人類の福利のために貢献した人々によって遺された

コレは非常にしっくりくる例だ。反対に、先述の「三つの主要問題」に向き合わない、個人の欲だけを満たしたような遺産は確かに希有だと言える。

f:id:yukihori-oyaji:20170609232100j:image

自ら決定した者

アドラーは、人が経験に意味を持たせるのであって、経験が人生を決めるのでは無い、と言う。

例として、不幸な幼少期を経験した3人それぞれの感じ方を挙げている。

ある人は

「私たちは、そういった不幸な状況を取り除くように努め、私たちの子供たちが間違いなくもっとよい状態に置かれるようにしなければならない」

また別の人は

「人生は不公平だ。他の人たちはいつでも優位に立っている。世界が私をそんなふうに取り扱うのなら、なぜ私が世界をそれ以上によく取り扱わなければならないのか」

更に別の人は

「私だって子供の頃、同じくらい苦しんだのだ。そして私は切り抜けてきた。彼らだってそうすべきだ」

つまり、自分自身が「経験に与えた意味」を決定した者、と言う事になる。自分が「その経験」をネガティブな「言い訳」に使うか、ポジティブな「動機」に使うか、ここが分かれ道なのだ、と感じた。

幼児期の三つの状況

人生の意味を間違えて捉えさせやすくする、幼児期の三つの状況についてアドラーは書いている。

不完全な器官

 ひとつめの状況としてアドラーは、「不完全な諸器官を持った子どもたち、乳児期に病気や虚弱体質で苦しんだ子どもたち」を挙げている。そういった子供達は、過度の負担を強いられる。その様な状況で「人生の意味とは他者への貢献である」と感じることは難しいと感じる。アドラーも次のように書いている。

彼らが負わされた諸困難は理解されてきませんでしたし、彼らは主として自分自身にだけ関心を持ってきました。幼児期に不完全な器官という重荷を負わされた子どもたちの間で、多くの挫折者がみられるのは、こうした理由によってなのであります。

甘やかし

 ふたつめの状況としてアドラーは「甘やかされた子供の状況」を挙げている。甘やかされた子供達は「他人の力で優位に立つこと」が普通になるので、他人の力が得られなくなると、裏切られたと感じるという。

これについては、容易に「自己中心的」という人間像を想像できる。「人生の意味」を取り違えてしまう姿を想像するのは決して難しくない。アドラーはこの事を次のように書いている、

他の人がいつでも彼らを助けてきたので、自分で物事をすることができるのだということを知らないままなのです。協力するということの有益さも必要も学んだことがありません。困難にに取り組むたった一つの方法、つまり他の人々に要求するという方法しか知らない

無視

 みっつめの状況としてアドラーは「無視された子どもの状況」を挙げている。母親に充分な愛情を注がれた子供は「信頼に値する他者がいるのだという経験」をする。それを経験しない子供は、他者に対して疑い深くなり、自分自身をも信頼できなくなるという。確かに親を信頼できない人間が他人を信頼する姿を想像するのは難しい。

アドラーはこれについて次のように書いている、

彼らが人生の諸問題に直面するとき、彼らはそれらの問題の困難さを過大に評価し、他者の助けと善意を受けてそれらに取り組む自分自身の能力を過小評価します。

f:id:yukihori-oyaji:20170610071320j:image

まとめ

 様々な状況を抱えた子供達に対して、我々大人達がとるべき行動は何か?人生の意味を取り違えてしまわないように、何か出来ることは無いか?と言ったことを、精神科医としてのアドラーはまとめている。

各人の「もっとも初期の記憶」には、その人が人生に与えた意味(鍵)が見出される事が多く、これを見つける事で、様々な対策がとれるようになるという。その際に我々があるべき姿としてアドラーは次のように示す。

 もし、教師や両親や心理学者が、人生に意味を与える際になれうる過ちを理解するならば、彼らが、いろいろな問題に直面するとき、彼らは自分で努力することをやめないであろうし、安易な出口を探したり、逃げ出したり、重荷を他者に負わせたり、優しい取り扱いや特別な同情を求めたり、屈辱を受けたと感じて復讐しようとしたり、あるいは「人生など何の役に立つのだ、私はそこから何を得られるのだ」などと問うたりしないでありましょう。

 また、その行動自体も我々の人生に意味を与える、と言うことも次のように表す。

逆に彼らはいうでしょう。「私たちは、自分で自分の人生を作っていかなければならない。それは、私たち自身の課題なのであり、私たちは、それに取り組むことができる。私たちは自分自身の行動の主人公なのだ。何か新しいことがなされなければならず、古いものが取り替えられなければならないとすれば、それをやらねばならないのは、ほかでもない私たち自身なのだ」と。

 そして、最後にこうまとめている。

もし、人生が、こういうふうに、自立的な個々の人間たちの協力として取り組まれるならば、私たち人間の社会の進歩に限界はみられないのです。

f:id:yukihori-oyaji:20170610071308j:image

スポンサーリンク